息子はもともと言葉が遅かったんです。
他の発達も突然出来るようになっていたので、特に気にせずのんびり成長するタイプだと思っていました。
しかしそれは、ASD(自閉症スペクトラム障害)だったから、というのが分かるまでのお話です。
言葉が遅い…目を合わせない…
息子は食べるのも動くのも特に問題は無かったのですが、言葉が遅いのが気になりました。
これについてはだいぶ前に、メモとして記事を書いています。
気付いていた点は、
・言葉が遅い
・目を合わせない
・呼びかけてもこちらを見ない
・他人に興味がない
・こだわりが強い
1歳半検診時点で「なんか変だな?」とは思っていました。
しかし記事の後半にもありますが、本当に病気なのかどうかは、3歳頃まで分からないんだそうです。
その後も半年ごとくらいに区役所で専門の先生に診てもらっていました。
保育園に入園して急成長!しかし…
近所に新規の保育園が出来るということもあり、2歳児クラスから入園。
入園前から発達の遅さについて園長先生には相談していたので、他の先生もかなり気にかけてくださっていました。
入園してからはお話もするようになり、お友達とコミュニケーションも取るようになるなど急成長!
半年ごとの区役所の相談でも「大丈夫かもしれないですね」と言っていたんですが、新しい問題が出てきました。
「息子くん、みんなと一緒に体操をしないんです」
先生に言われ、こっそり息子の保育園での活動を観察させてもらうことに。
そこでの様子にすごくビックリしました。
保育園では活動を始める前、朝の会みたいに名前を呼んで返事をしたり、歌を歌ったりする時間があるのですが、おとなしく椅子に座っていられず、ピアノを弾く先生の側に座りこんだり、落ち着きがありません。
次はみんなでリズム運動をしよう、という時間。
クラスのお友達が先生の動きに合わせて踊っているのに、息子は教室の中を1人だけウロウロしてるんです。
やっぱりこの子は、他の子と何かが違うんだ。
そう思いました。
詳しく話をきけば、制作をしたり座って何かをやる活動の時も、やりたくない活動の時は1人だけ教室から出て行ってしまうこともあったそうです。
保育園では、副担任やサポートの先生を追加して対応していたんですって。
とはいえ、園側も人に限りがあるため、常にサポートするのも難しいといわれる始末。
そりゃそうですよ。
なんだかもう、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
この件については、保護者から区役所に申請書類を出すと、園でも保育者を増やしたりできるとのことで、誠意を込めて書類を書かせて頂きました。
4歳半から療育支援センターに相談
4歳半になった頃、区役所での相談で保育園での様子を伝えると、地域の療育センターを勧められました。
療育センターではまずどのような障害があるのかを調べるため、専門医が診察&検査をします。
この診察までの順番待ちがめっちゃ長い…!
診察受けたいです!という申請をしてから、2ヶ月くらいは待ちました。
当日の検査は広い部屋で、区役所でやったものと似たようなことを最初にやりました。
次に身体を動かしながらやる検査。
助手の方と息子が動いているのを、私と先生がそばで眺める、という感じでした。
検査してすぐに結果が出るわけではなく、ここでさらに1ヶ月待ちます。
診察&検査で『ASD傾向あり』と診断
診察&検査の結果、息子は知的発達は標準域だが『自閉症スペクトラム(ASD)傾向あり』との診断でした。
マイペースで話がそれやすく、一方的。
状況理解が弱く、苦手なことや思い通りにいかないと取り組みにくいほか、こだわりが強いので変更や切り替えが苦手という特徴があるという診断でした。
まさに保育園でのそれだね!
自分の感じた違和感が気のせいなのか、育て方の問題なのか。
結果が出るまであれこれと悩んだものでした。
しかし、専門家からきっぱり『脳の障害』と提示されたので、もうそれじゃあしょうがないな、という気持ちになって吹っ切れました。
しょうがないさ。とことん付き合ってやろうじゃないか。
こうして、1歳半の時に感じた違和感の正体は『ASD』だった。
息子が5歳になってようやく判明したのでした。
うちの子どうかな?と思っている人へ
・とりあえず3歳くらいまではハッキリしません。
・専門の検査は順番待ちの期間が長いです。
・気になったら早めの行動が肝心です。
ASDと分かったものの、どうしたらいいのやらと思っていたヒツジの元へやってきたのは、小学校入学を控えた保護者への『就学に関する説明会』の案内であった。
(次回へ続く)
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この記事、ずっとどうしようかなと思っていました。
しかし、言葉が遅かった頃のことも記録として残しておいたことで、後々自分の役に立ったし、自分の中で整理するのにも書いています。
また、自分が「もしかして…」と思うきっかけになったのも、他の方々のこういった記録なので、こうして残しておくことにしました。